魚の身を塩水で練って、竹の筒に塗りつけて焼いた当時のかまぼこの形状が植物の「ガマの穂」に非常に似ていたことから、当初は「ガマの穂」といわれていました。 しかし、時代が進み、大衆化するにつれ「蒲穂子(がまほこ)」と呼ばれるようになり、形状が槍(鉾)に似ていたこともあり、いつしか「蒲鉾(かまぼこ)」になったという説が有力です。江戸時代の書物に「後に板に付けたるが出来てより、まぎらはしきもとの蒲鉾は竹輪と名づけたり」と記されているので、蒲鉾と呼ばれていたのは現在のちくわであったということになります。
板に付いた現在のかまぼこは安土桃山時代の後半くらいに登場し、それまでの蒲鉾はその形状から竹輪と呼ばれるようになったのです。
永久3年(1115年)の古文書に亀足付きのかまぼこの図が載っていますが、現在のところ、記録として残っている文献では、これが最古といわれています。 従って、かまぼこが登場したのはそれ以前のことになりますが、おそらく東南アジアからの移住民がその製法を伝えたのではないかと思われます。 実際に東南アジアの一部の地域に、日本の薩摩揚げに似たかまぼこがあったり、中国には魚団といって、炒めて食べるかまぼこの一種があったりします。
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