2004.9.21(火) しろちゃんとの別れが....。

お盆前にはあまり歩けなくなり、9月にはいると、私が支えてやらないと立って小便もできなくなったしろ、最後に病院にいった翌日からドッグフードは一切食べなくなって、しばらくは人間の食べる”ちくわ”や”炒めた肉”などをわずかづつでも食べていたのであるが、息子の大学からの帰省が終わる9月8日頃には、一切食べ物を受け付けなくなった。 水しか飲めない体になっても、なお生き続けた。 今日はもう死ぬかもしれない.....明日は死ぬかもしれない.....そういっているうちに、とうとう、もう立ち上がることさえできなくなり、眼も濁り、体が痙攣をおこしては夜中に悶絶、苦しそうな声をあげ続けたので、私たち夫婦の眠りを妨げる日が続く。 寝不足で会社に向かう毎日が数日続いている。妻と夜中に青白い顔をお互い見合わせて”もう、可哀想だからあの世へいかせてやってほしいね”と苦しそうにあえぐ犬を覗きながら、何度も語り合った。
今日の午前中には、とうとう血便か血尿がでたらしく、後ろ足にべっとりと血がついていた。それでも、死ぬことができない”しろ”は、最後の生死の境をさまよいながら、かすかな声で啼き続けていた。 近所に声が聞こえてご迷惑をかけられないので、今日、最後の決断をした。
もうあとわずかしかない”しろ”が幼犬時代に過ごした家の玄関にもどしてやり、段ボール箱を置いて、そこに入れてやることにした。
すでに、しろには蝿がたかるほどに、異様な臭いがしていたが、ここでは、いくら啼いても、ご近所に声が聞こえることはないので、家族が、しろの臭いと鳴き声さえ我慢すれば、他人に気を遣わなくても済むからである。
玄関にいれてしばらくすると家中に、しろのなんともいえない臭い(生臭い....これが死臭というのだろうか?)がしてきたので、蚊取り線香をたいて臭いを誤魔化すことにした。
しかし玄関に入れてしばらくすると、しろの啼く声が少なくなり、安心したかのように静かに眠りはじめたのだった。
思えば、明後日はしろの14歳の誕生日である。 よくこのような状態で、こんなに長く生きているものだと思う。 獣医さんも、どうしようもない状態であり、今年のお盆すぎには死ぬだろうと思っていたのだから、予想をはるかに超えて生きているわけである。

昨日、自分たちの子供の幼い頃のビデオを整理しながら見ていたら、1歳くらいになった頃の元気そうなしろが出てきて、幼い子供たちとじゃれ合っている画像が出てきたため、胸が締めつけられた。 あんなに元気に生きていた日々があったのだと思うと、今見るしろの姿はあまりにも痛々しく、変わり果てた姿は哀しく切なすぎる。
動物も人間も同じなのだ......生命の終わり方はそれぞれだろうが.....。
そんなことを考えているうちに、ふと、犬の臭いがしなくなったことに気がついて、下におりて犬の様子を見ることにしたのである。だが......

2004年9月21日 午後10:00前後......とうとう”しろ”が息絶えた。

妻は泣いた......私も涙がこみあげてくるのをどうすることもできなかった。 この二日間苦しかったろうに...下血して、本当につらかったろうなあ......。
でも、家の玄関に入れて寝かせてやってから1時間もたたないうちに、ひっそりと息をひきとっていた。

しろが幼い頃にすごした場所で、安らかにあの世へ旅立ってくれたことがせめてもの幸いであったような気がする。
本当に、別れはつらいものだ......。 死んだことにより、臭いもしなくなったしろの姿を呆然とながめてそっと手をあわせた。 外では、久しぶりに雨がざーざーと音をたてて降っていた。しろの死を悲しむように....。