舞鶴へ帰ってきてから、中学校のころの気の合う友人3人で東舞鶴まで飲みにいったときの話である。 東舞鶴と西舞鶴は同じ市でありながら、街の様子もそこに住んでいる人の気質も少しちがうようである。 とにかく、東舞鶴で飲むということは、われわれ西舞鶴在住の人間にとって、すこしは身構える場所なのである。 這ってでも帰れる場所ではないのだ。 つまり、タクシーで帰ると最低3000円はかかるのである。
話がはずんで、夜中の3時頃になってしまった。 スナックのママにタクシーを呼んでくれと頼んだが、もうこの時間に走っているタクシーはありませんというので、グロッキー状態の一人を両側から抱えるように三人で店を出た。 冬とはいえ、まだ寒さもきびしさが感じられなかった頃だったし、酔っているせいで寒さは感じなかった。 とりあえず、途中まで歩いて、国道でヒッチハイクをしようということになった。 しかし、長距離トラックの兄ちゃんでも関わり合いになりたくないのだろう。....止まる車はなかったのである。 風にあたると益々寒いので、とりあえず、バスの停留所の待ち合わせ用の小屋に入り、しばらく風をさけることとした。
グロッキーになっていた友は、明日の朝には帰って葬式にゆかねばならない....と言う。 とりあえず、歩く事にした。 どうせ車も止まらないだろうから、寒々とした国道沿いよりも、すこしでも民家のある道(バイパス)を通って帰ることにした。 途中四時頃だったろうか、家の前でドラム缶のような焼却炉で火を燃やしているおじさんにめぐりあい、しばらく世間話をしながら、火で暖をとった。 ほんとうに、世の中にはいろんな人がいるものである。 こんなに朝早くから起きてたき火をしている人がいるとは.... あとで、この暖が本当に大切であったことを知った。
とにかく、一人を抱えて歩いているものだから、体中があったまり、それ以後寒かったという記憶はないのであるが、........とにかく、早朝5時半ごろに、わたしの家のはなれ(当時の私の書斎部屋)に帰着した。 しかも、ふとんがあるわけではなく、家の親を起こしてふとんで大騒ぎする時間帯でもないので、とりあえず、座布団や、毛布、コート、下着など上に被せれる物はすべて活用し、仮眠することにした。 困ったのは自分である。 一番酒を飲み続け、おまけに二時間以上友人を肩に抱えて帰ってきてほかほかと暖かかった体が急速に冷え始めたのである。 しかも、一番大柄な私は上に何を被せても足がでたり、胸が出たりと寒くて眠れない。 リスのように体をまるめてやがて眠りについたようである。(思えば、部屋に暖房などなかった時代である) 友人が八時には帰ると言っていたので、彼を起こし、ラジオを聞いていると「京都府北部の舞鶴は今年一番の寒さで....」とアナウンサーの声が聞こえた。 そういえば、昨夜は寒かったよなあと残っている友とのんきそうに話したのを覚えている。
本当に厳寒の中、二時間も歩いて帰ってきて、凍死しなかったのは酒のおかげだと思っている。
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