先生の思い出

学校の先生の想い出と酒を結びつける接点はないように思われるだろうが、今年の正月、クラス会をやったときに思い出したことをすこし、哀悼の意をこめて、このコーナーに掲載することにした。
私の高等学校の頃の担任の先生と言えば、故N先生である。数学の先生であり、髭の剃り跡が真っ黒な顔をされていた。(髭が濃かったという意味である。)私は数学が得意だったので、よくこの先生には可愛がってもらった。 もちろん、高等学校の頃に先生と酒を飲んだ事もあろうはずはないが、数年前に亡くなったときに、N先生が相当な酒飲みであったことを聞かされた。
先生の死因も酒に由来していることを初めて聞いて知った。肝硬変だったそうで、在りし日の先生は汽車に乗って教員の旅行などをするときに、一升瓶を買って、飲み始めると、舞鶴から出て、2つ目のトンネルを越すあたりでほとんど空になっていたという逸話が残っていた。 それだけの大酒のみでありながら、生徒の僕には全くわからなかったし、紳士だったように思う。いつか、卒業してから友人の結婚式で一緒になり、京都から僕の車に乗せて舞鶴まで帰った来たときがあった。 そのとき、やまがた屋で缶ビールとオールドの中瓶を買われたので、また飲まれるのかと思っていたら、舞鶴に着いてから、ありがとうと言って僕にそれを下さったのを覚えている。
それと比較して、名物先生のK先生という漢文の先生がいたが、その先生は授業中に酒の臭いをプンプンさせていたし、分厚い眼鏡をかけて、教科書に顔がつくくらいの距離で漢文を朗読されていたのを覚えている。 僕はそんなK先生が好きで、高等学校の時はK先生が顧問をしている哲学クラブに籍を置いていた。
ある日、部活で先生が一緒に喫茶店へ連れていってくれたことがあった。そのとき、自動ドアに体ごとぶつかっていって、あの分厚い眼鏡がふっとんで、僕が拾って先生の顔にかけてあげたことがある。前屈みになって歩く先生の目には自動ドアが見えなかったんだろうし、すでに教室で酒を飲まれてたのかもしれない。 しかも、喫茶店ではじめて本格的なコーヒーを飲ませていただいたのだが、先生はウイスキーコーヒー(当時はちゃんとメニューにあった)を注文されて、スプーンでかきまぜながら、よく金ぺい梅の話をしてくれたのを思い出す。中国でも卑猥な漢文があって、神様が空中を飛んでいるとき、川に洗濯をしにきていた若い女の着物からはみでた太股を見たとたん、心乱れて天から落っこちるというような内容の話だったと思うが、それをいかにも、たのしそうに話してくれるのである。 当時、女の子に興味をいだき、エッチな話題に目を輝かせていた少年にとっては、本当に授業だけでは得られない話だった。 そうしているうちに先生が帰る汽車の時間が来たので、喫茶店を出ることにしたのだが、お金を払ってくれたあとに、また、喫茶店の自動ドアに正面衝突されて、裏から見て いると、蛙が道にたたきつけられたような惨めなスタイルだったのを覚えている。 フラフラになった先生を駅まで送り届けたことがあった。 K先生も今はこの世にはおられない。みんな酒飲みは早死にしている。でも、僕は酒というものを愛して死んだ両先生には本当に楽しい高校生活をさせていただいたと今でも感謝している。 僕も単に酒を飲むだけでなく、次の世代に想い出として語ってもらえるような味のある酒のみになりたい。