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1997年の夏に息子が琵琶湖でわずか10センチたらずのバスを釣り、記念に持ち帰って飼育しはじめてから、はや7年が経過していた。 40センチ近くの大きさになり60センチ水槽で飼育するのも限界かもしれないと思っていた矢先、とうとう、不死身と思えるほど(何度か死にかけたが、いつも復活してくれた)元気だったバスがこのような変わり果てた姿になってしまった。数日前から、身体にカビが生えたり、食べたものを吐き出したりしていたので、薬を投与したり、上面濾過だけでなく、強力にエアーを吹き込んで、夏の酸素不足に対応していたのだが........。冷凍庫には、バスくんに食べさせる予定だったアジの刺身がまだ、何切れか残っている。最後に食べたのが3日程前......かつてのような勢いもなく、目の前に沈んできた餌を仕方なく口に入れるというような消極的な食べ方であった。 様子がおかしいとはおもっていたが、いつものように、水を替えて、薬で表面のカビを除去してやれば、また元気になると思っていたのだが.......。
子供が小学生のときから育ててきた父子の思い出のつまった生き物であっただけに、本当に死なせてしまったことが残念でしかたない。
大学生になり、よそに下宿している息子に死んだことを携帯メールで知らせると、”死んだんか.......”というレスだけが帰ってきた。 息子にとっても、あと一月もすれば、ひさしぶりに帰郷して、水槽のバスをなつかしく見たいとおもっていたかもしれないので、きっと残念だったに違いない。 左のように、グミの木の根元にちかいところに埋めて石でお墓をつくってやった。
本当に、長い間、私や私の家族を愉しませてくれてありがとう。 このホームページも君がいてくれたからこそ出来たんだし........本当にいい思い出をありがとう。 外来魚だということで、最近では、君の存在も罪人扱いされているけど、元はといえば、人間が勝手に日本に連れてきただけのこと........。本当にごめんね。この小さな60センチ水槽での生涯は君にとっては幸せでなかったのかもしれないけれど、近寄ると、元気に尾っぽを振って喜んでくれた頃の君の顔を思い出すと救われます。 この土の下で安らかに眠れ(完結) |
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